「AIRをアニメ化しようと思っているんですけど、どうですか?」
東映アニメーションの東さんから、そんな電話があったのは2002年がもうすぐ終わる、冬の日でした。「まだ本決まりの企画ではありません」と東さんは言いました。「90分の劇場版です。どうですか?」
僕は、ぜひやりたい、と答えました。「企画が本当になったら、是非、参加させて下さい」
気の早い僕は、家に帰ると原作ゲームを棚から取り出して、プレイしなおしてみました。「…これを90分にまとめる…そんなこと、出来るんだろうか?」
ともあれ、ノートを用意し、ゲームの感動的なシーン、台詞、全体の構造などをメモしながら、プレイを続けました。やっぱり、これを90分でまとめるなんて出来ないんじゃないだろうか。ならば、どうするか…。
ゲーム作品と映像作品の大きな違いは、絵が動くということが勿論あります。しかし、ストーリー上においてはそれよりも、主人公のモチベーションの在り方の差が大きいと僕は思っています。例外はあるにせよ、ゲームは自らがプレイする分主観的にその世界に関わり、深く主人公と同化することが出来ます。それに対して、映像作品は客観的です。はらはらする謎や構成などを早い段階から展開し、見る人を世界に引き込まなければなりません。
ならば、どうするか…。この疑問を幾度も幾度も自身に向けて問い続けました。
そんな時、個人的な出来事ですが、大変悲しいことがありました。それによって、僕は「死」「心」「悲しみ」「孤独」――まさにAIRの世界を取り巻く「鍵」について思いを巡らせなければなりませんでした。
「AIRの映画、正式にスタートします」東映アニメーションの東さんからそう連絡を貰った時、構成を考え、黙々と書き続けた準備稿は10稿近くに及んでいました。
僕は、それまでに書いた準備稿を持ち、セッションに参加しました。
この映画のために素晴らしいスタッフが集まっていました。今回の監督は数々の名作を送り出してきた出崎統監督です。僕は監督に、自分なりの「鍵」についての答えを話しました。それは僕が延々と考えつづけて、見つけた一つのテーマでした。そしてそれに対して監督から、色々な意見、あらゆる角度から助言を貰い、そしてまたそれに対して僕が提案を行う――何度もそういったやり取りを重ね、さらに色々なバージョンのプロットや準備稿を書いていきました。キャラクターデザインの小林明美さんが描き起こしてくれた、美しい観鈴や往人、神奈のラフを机の前に貼り付けて、時折眺めながら。
そして、最終的なプロットを書き上げて、麻枝さんに見ていただくため、僕はKeyを尋ねました。麻枝さんにも幾つかのアイデアや意見、感想を戴き、プロットを修正し、さらに麻枝さんに見て頂く、というやり取りを行いました。脚本も同様のやり取りを経て、2003年11月、遂に表紙に決定稿の判が押されました。最初に企画の話を聞いてから実に一年の時間が経っていました。
「誰でも胸のうちに孤独を抱えている。それでも、彼らは微笑もうとするのだ」
結局大学ノート三冊分になった、AIR用創作ノートに僕が書いた言葉の一つです。1000年の孤独の中にいる神奈のように、僕たちは誰しも心に孤独を抱えています。観鈴や往人と同じように、僕たちは翼を持ちません。そんな僕たちが孤独に相対するためにどうやって翼を広げるのか。一つの提案を僕はこの物語に込めました。
もう一つの「AIR」。楽しんでいただけたら、と思います。
